プロフィール
HN:
Masayuki Sato
性別:
男性
職業:
フォトグラファー
趣味:
波乗り
自己紹介:
日本生まれでシドニー在住。
20代に日本を飛び出し、南北太平洋、インド洋の島々を転々とし、30代に日本に戻り写真の仕事に従事。40代にて再び日本を飛び出し現在に至る。
まあ〜根っからの、のほほん者です。
info@mandn.com.au
Copyright(C) Masayuki Sato All Rights Reserved.
掲載された画像や文章を許可なく転載、使用する事を好んでいません。
ご使用になりたい場合はまずは連絡ください。
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人を恵んで厭味(いやみ)なく、 労して怨(うら)みず、
欲して貪(むさぼ)らず、
泰(ゆた)かで驕(おご)らず、
威あって猛(たけ)からず─と。
(論語・堯日[ぎょうえつ])
人は誠にかくありたいものである。 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊) ⇒ http://tinyurl.com/26a7ux3
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人として常に何が善かを問い、
親しい仲を問い、
礼儀を尽すことを問い、
政治の要を問い、
患難(かんなん)を問う。
(左伝[さでん]・襄公[じょうこう])
これ実に人間味豊かな五善である。 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊) ⇒ http://tinyurl.com/26a7ux3
Mardigras2011
記事と写真は関係ありません
世をあげて利を競うに忙しい。
しかし各自の利害は、
いつか、どこかで、
必ず衝突する。
これを解決するものはやはり正義である。
正義はどうして決まるか。
利害関係の外に立つ、
良心と達識とを持つ人々の、
明察と公論による。 正義は往々(おうおう)
自己の不利に見えるところが少なくない。
しかし結局、正義が真の利益である。
自ら信ずる正義の為に、
不利はおろか、
時には死をも辞せぬことが、
人間の貴い道徳であり、権威である。
この信念と気節とが、
一切の困迷を救って、
国民の新運命を開く鍵(かぎ)である。
この信念と気節のある人々が
国民の指導者に輩出(はいしゅつ)するほか、
日本を救う道はない。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊) http://tinyurl.com/26a7ux3
要するに、
少数の真剣な求道者のみが
時勢の運命を徹見(てっけん)し、
社会を善導することができるのである。
能(よ)く一隅(いちぐう)を
照す者にして始めて、
能く照衆・照国することもできるのである。
微力(びりょく)をあきらめてはならぬ。
冷に耐え、苦に耐え、煩(はん)に耐え、
また閑にも耐えて、激せず、躁(さわ)がず、
競(きそ)わず、随わず、自強してゆこう。
同志諸賢の精進を万祷します。 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊) http://tinyurl.com/26a7ux3
本当にわれわれの存在というものは、
究明すればするほど種々のお蔭によって在る。
天地のお蔭、国家や社会のお蔭、親や師友のお蔭。
この計り知ることの出来ないお蔭を
しみじみと感じとり認識する、
これが所謂(いわゆる)恩を知るということであります。
そこではじめて理性や感情を持った人間になるのであります。 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊) http://tinyurl.com/26a7ux3
いかに死すべきかということは唯(ただ)、
死を願う消極的な心ではない。
いうまでもなく、ある偉大な感激の対象を求めて、
それに向かって没我的になって行く。
己(おの)れを忘れ、あるいは己れを抛(なげう)つべき
ある偉大なる感激の対象を得る生活であります。
我々が喜んで、勇んで、己れを空(むな)しうし、
己れを忘れて没入して行くような、
そういう感激の対象を得ることを、
大和(やまと)言葉では「むすび」(産霊)という。
日本精神を最も活き活きとつかむため、
日本精神の真骨頭を把握するためには、
この「むすび」ということを知ることが、
根本の問題であります。 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊) http://tinyurl.com/26a7ux3
良い縁がさらに良い縁を尋ねて
発展していく様は
誠に妙(たえ)なるものがある──
これを縁尋機妙(えんじんきみょう)という。
また、いい人に交わっていると
良い結果に恵まれる
──これを多逢聖因(たほうしょういん)という。
人間はできるだけいい機会、
いい場所、いい人、いい書物に
会うことを考えなければならない。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://tinyurl.com/26a7ux3
道教の方に十多の説がある。
一、思多ければ神(こころ)怠る
二、念多ければ志散る。
三、欲多ければ智損ず。
四、事多ければ形疲る。
五、語多ければ気傷(やぶ)る。
べらべらしゃべるのは気が散るもの
であることは誰もよく気がつく。
六、笑多ければ臓損ず。
これは一寸(ちょっと)意外に思う人が多いであろう。
笑うことは気持が好いから内臓の為に良いと思えるが、
此処(ここ)はくだらぬことにへたへた笑う意味であるから、
締め括(くく)りがない。
臓は含蓄力であるから、ひきしまらぬのは悪い。
七、愁多ければ心懾(おそ)る。
八、楽多ければ意溢(あふ)る。
九、喜多ければ志昏(くら)し。
十、怒多ければ百脈定まらず。
九など一寸誰も気がつかぬことで、なかなかきびしい。
玩味(がんみ)するとなかなか味がある。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://tinyurl.com/26a7ux3
人間に一番悪いのは雑駁(ざっぱく)とか
軽薄とかいうことでありまして、
これは生命の哲学、創造の真理から申しましても
明らかなことでありますが、
これほど生命力・想像力を害するものはありません。
また生命力・創造力が衰えると、
物は分裂して雑駁になるものであります。
これがひどくなると混乱に陥ります。
人間で申しますと自己分裂になるのです。
そこで絶えず自分と言うものを
何かに打ち込んでいくことが大切であります。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://tinyurl.com/26a7ux3
いかにすればいつまでも
進歩向上していくことができるか。
第一に絶えず精神を仕事に
打ち込んでいくということです。
純一無雑の工夫をする。
純一無雑などと申しますと
古典的でありますが、
近代的にいうと、
全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、
ということです。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://tinyurl.com/26a7ux3